「あの頃のぼくは、自分の居場所を探していた」──高校での苦しい日々と不登校になるまで

高校編

中学を卒業して、僕は通学生の高校に進学しました。

新しい環境でやり直したい。そう思っていたぼくは、中学時代のような「スクールカーストの下位」から抜け出すべく、少し“上”のグループに入ろうと無理をしていました。

でも、そういうことを考えてるのはぼくだけじゃなかったんです。

似たような立場の子がもう一人いて、その子とは最初こそ同じ目標を持つ仲間になれるかもと思っていました。でも現実は違いました。彼は「自分が目立ちたい」「上に行きたい」という気持ちが強く、をbぼくを蹴落とすような言動を取るようになったんです。

ふたりきりになると「お前には負けないからな」と言われたり、みんなで話しているときに石や消しゴムを投げられたり……。そういう陰湿なやり方に、僕の心はどんどん疲れていきました。

家にも、心を休められる場所はありませんでした。
母が中学時代に亡くなり、父が再婚。弟も生まれて、ぼくは家庭の中でも“蚊帳の外”にいるような感覚でした。

学校でも家でも、心を許せる人がいなかったぼくは、どんどん孤独になっていきました。

高校1年の二学期が終わるころ、体がだるくて、足が重くて、朝起きるのがどんどんつらくなってきました。
そんな時、年末に親戚の家に泊まりに行って入った温泉だけが、ほんのひとときの癒しでした。

やがて、僕は「今のグループの中で、自分は何番目に“イケてる”んだろう」と、どうでもいいことに心をすり減らすようになりました。順位が少しでも下がると焦って、ちょっと上がるとほっとして……そんなことの繰り返し。

そして高校2年の春。ついに心も体も限界を迎えてしまい、ぼくは学校に行けなくなりました。


不登校は「甘え」じゃない。心が限界だっただけ。

今こうして振り返ってみると、あのときのぼくは「ただ必死だった」んです。
友達が欲しくて、居場所が欲しくて、普通になりたくて。
でもその“普通”って、誰が決めたんだろう。

僕は、頑張っても居場所が作れない環境で、自分をすり減らしていただけでした。

もし今、同じように「学校に行けない」「無理してる自分がつらい」と感じてる人がいたら、どうか自分を責めないでほしいです。

あなたの心が限界を感じてるなら、それはもう“サイン”なんです。
ちゃんと立ち止まっていい。自分を守っていいんです。

「あの頃のにはぼく、ただ安心できる場所が欲しかった──」
 そんな気持ちを今も大切にしながら、ぼくはこれからも、自分の経験を少しずつ綴っていこうと思います。

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