子ども時代 〜「はじまりの音」〜
ぼくがこの世界に生まれたのは、2,000gの小さなからだで、声もなく静かに登場したときだったらしい。母はきっと不安だったと思う。助産師さんにたたかれて、ようやく小さな産声をあげたぼくを見て、どんなにホッとしただろうか。
そんなぼくの最初の5年間は、自然豊かな過疎地で過ごした。小学校には学年に1人か2人しかいないような、そんな場所だった。まわりに広がる田畑と山、のんびりとした空気の中で、近所の年の近い子たちと遊んだ思い出がある。今思えば、あれが人生でいちばん「静か」で「やさしい」時間だったのかもしれない。
年長さんのとき、家族で街へ引っ越した。初めて見た街の幼稚園には、たくさんの子どもたちがいて、目を見張った。あんなにたくさんの「おともだち」がいる場所なんて、知らなかったから。けれど、にぎやかすぎる空間には、なかなかなじめなかった。輪に入れず、戸惑うことも多かったと思う。
でも、小学校に入ると少しずつ世界が変わり始めた。勉強も、遊びも、楽しかった。朝のホームルーム、給食、昼休みのドッジボール。誰かの笑い声や、校庭に響くチャイムの音。あのころの記憶は、今も胸の奥にあたたかく残っている。
一人っ子だったぼくにとって、母との時間はとても特別だった。病気の不安のことをのぞけば、母との思い出はやさしく、あたたかく、今でも胸の中で光っている。母の笑顔、おしゃべり、手のぬくもり。全部、大切な宝物だ。
あのころのぼくは、まだ「人生に嵐がくる」なんて知らなかった。ただ毎日を楽しみ、未来はきっとずっとこうやって穏やかなんだと思っていた。
これから訪れる思春期の嵐も、引きこもりの時間も、今はまだ知らない。
でも、それでいいと思う。あの穏やかで、静かで、ぬくもりに満ちた日々があったから、ぼくはそのあとも、なんとか歩き続けてこられた気がするから。
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