中学・高校時代、ぼくはスクールカーストの下位だった。
スクールカーストって、結局何で決まるんだろう。コミュニケーション力、容姿、運動能力、学力…いろんな要素でなんとなく“ランク”みたいなものができて、メジャーな子とマイナーな子に分かれてしまう。
メジャーな子たちは、だいたい運動部に所属していて、友達も多く、男女関係も華やかだった。
マイナーな子たちは、友達が少なくて、教室の隅っこでひっそりと過ごす感じ。ぼくは完全に後者だった。
でも、中学時代はマイナー同士でつながった友達とは、すごく気が合った。一緒にいて安心できて、心から笑えた。
母が病床から書いてくれた手紙にも、こんなことが書いてあった。
「友達は多くなくていい。一緒にいて安心する、心からなんでも話せる、そういう人が一人でも二人でもいれば、それだけで幸せだよ。」
あの頃は、正直ぴんとこなかったけど、大人になった今、その意味がよくわかる。
実際、今のぼくには少ないけれど心から信頼できる友人がいて、奥さんがいて、それだけで十分幸せだと思える。
でも――
10代のころは、そうはいかなかった。
スクールカースト上位の男子たちは、女子と自然に話して、ふざけて、放課後は一緒に帰って青春していた。
そんな姿がうらやましくて仕方なかったし、「なんでぼくはこっち側なんだろう」って、ずっと思っていた。
ぼくだって、勉強とか一生懸命やってるのに、ちょっとチャラい男子が女子に人気で、楽しそうに過ごしている。
くやしかった。自分もあんなふうになりたいって、本気で思っていた。
そんな気持ちを抱えていたから、不登校になったとき、主治医に言われた言葉が胸に刺さった。
「君は、自分のことを好きになれないんだね。」
そりゃそうだ。一番の理解者だった母が亡くなり、学校でも女子と話せず、居場所がなかったから。
自分なんて好きになれるはずがなかった。
でも、そんなぼくにも、転機が訪れた。
奥さんに出会ったことだった。
「自分は自分でいていいんだ」
そう思えたのは、奥さんと出会ってからだった。
ぼくは10代のころは全然もてなかった。でも、大人になって結婚できた。
10代のころモテてて結婚できないよりはいいかもしれない。
でも、それでも…やっぱり10代のころ、もっと青春したかった気持ちは、今でも心に残ってる。
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