夢だった看護師、その果てに待っていた適応障害 看護師奮闘編

人生のあらすじ編

「新人ナース、3年目の決断――夢の先に待っていたもの」

看護学校を卒業し、僕は念願だった急性期病院へ就職した。
新人としてのスタートは、想像以上に過酷で。
覚えることは山ほどあり、患者さんの入退院、急変対応、深夜のナースコールに応える夜勤……毎日が嵐のようだった。

「一人前の看護師になれば、未来はもっと良くなる」
その一心で、ぼくは現場に立ち、僕は何度も立ち上がった。

でも、3年目に入った頃だった。
「もうこれ以上、無理かもしれない……」
そんな思いが胸に渦巻くようになる。
病棟の空気、プレッシャー、自分への過剰な期待。
上司に思い切って相談し、異動などの選択肢ももらったけれど、
学生時代から興味のあった老人施設での看護に挑戦してみたくなった。

転職先の施設では、看護師としての役割が大きく、やりがいも感じた。
介護職から尊敬される立場になり、誇らしい気持ちにもなった。
けれど、そこでの現実はまた違ったものだった。

看護師が自分ひとりだけという日も多く、
何かあればすべて自分の責任。
オンコールの電話は休日や夜中にも鳴るし、
本部からは現場を無視したマニュアルが一方的に降りてくる。
「誰のためのケアなんだろう?」と感じる場面も増えていった。

ある日、ついに怒りが爆発してしまった。
自分でも止められないくらい感情があふれてしまい、
施設長から精神科の受診を勧められた。

診断は、「適応障害」。
2か月間、休職することになった。
それでも諦めたくなくて、違う施設へ異動し、復職する。
けれど、今度はコロナの影響で、心も体も追い詰められた。

休みがちになる僕を見かねた上司が、また違う施設への異動を提案してくれた。
ありがたいと思いつつも、やっぱり環境が変わるだけでは、
根本的な疲れは取れなかった。
新しい場所でも、また同じように疲弊していき、再度の休職。
再び「適応障害」と診断された。

せっかく看護師になれたのに。
夢だったはずなのに。
僕は人生に、そして自分自身に絶望していた。

それでも、僕の物語はここで終わらなかった――『適応障害からの復帰編』へ続きます。

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