1. 「あれ、もしかしてお母さんって…」
小学生のころから、うすうす感じていたことがありました。
お母さんは、入退院をくり返していた。
もしかして、このままずっと一緒にはいられないんじゃないか──
そんな不安が、心の片隅にずっとあったんです。
それでも、子どもなりに「きっと大丈夫」って信じてた。
だけど中学2年のある日、とうとうその不安が現実になりました。
お母さんが亡くなったんです。
病名は、乳がんの全身転移でした。
まだ13歳。現実をうまく受け止められないまま、
世界が急に静かになった気がしました。
2. 家庭のなかの孤独と、父の変化
お母さんの死をきっかけに、家の空気も大きく変わりました。
祖母が面倒を見てくれて、本当に助けられたけれど、
お父さんは、きっと自分自身を責めていたんだと思います。
少しずつ、自暴自棄になっていって──
ときどき家では、きつい言葉が飛ぶようになりました。
相談したいことがあっても、お母さんはいない。
お父さんには言えない。
そんな中で、ぼくはだんだん心を閉ざすようになっていきました。
3. それでも通い続けた中学校と、救いになった言葉
今思えば、小学6年の頃には、なんとなく
「自分は目立たない側にいるんだな」と感じていました。
クラスの中には、明るくて人気があって、輪の中心にいる子たちがいて。
ぼくはその外側で、いつも様子をうかがいながら過ごしていたように思います。
当時は「スクールカースト」なんて言葉は知らなかったけれど、
子どもなりに“空気”でわかっていたんです。
「自分はあっち側じゃない」って。
…そんな日々の中でも、ぼくには、数人の友達がいてくれました。
塾や卓球部の仲間とは、心から笑える時間もありました。
「自分の居場所」があるだけで、どれだけ救われるか。
あの頃のぼくにとっては、そんな些細な時間が大切でした。
昼休みに一緒にくだらない話をして、たまに一緒に帰ったり。
大したことじゃないけど、その時間だけは
「ふつうの中学生」でいられた気がしたんです。
それに、学校の先生も気にかけてくれていました。
母のことで心配してくれて、
「何かあったら相談してくださいね」って、
声をかけてくれたとき、ぼくは泣きそうになりました。
あと、もうひとつ、今でも忘れられない先生の言葉があります。
「きっといつか、君にぴったりのお嫁さんが見つかるよ。」
そんなふうに未来のことを言ってくれたのが嬉しくて、
心のどこかで「ぼくにも、ちゃんと未来があるんだ」って思えた。
その言葉は、大人になった今でも、ふと思い出すことがあります。
終わりに──13歳のぼくが抱えたもの
母を失って、スクールカーストに悩んで、
家でも安心できなくて…そんな13歳のぼくにとって、
「生きていく」ことは、想像以上に大変なことでした。
でも、支えてくれる人は、ちゃんといた。
ほんの少しのやさしさや、誰かのひとことが、
こんなにも人を救うんだって、ぼくは知りました。
…次回は、その後のぼくの高校生活についてお話しします。
進学したけれど、また違う“壁”にぶつかってしまって──。
読んでくれて、ありがとう。
あなたにも、小さな希望が届きますように🍀
💭ぼくのように、誰にも言えない気持ちを抱えている方へ
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