泥水をすすってきたぼくが、ようやく就職できた春

大学編

大学の卒業を3月に控えたころ、ぼくは思っていた。「この人とずっと一緒にいたい」。
出会った奥さんとの将来を考えるようになって、ようやく就職活動を始めた。

通信制の大学だったから、就職課などの支援は使えなかった。代わりに通い始めたのはハローワーク。父はスーツや靴を嬉しそうに買い揃えてくれた。

やりたい仕事があるわけでもなかったぼくは、とにかく家から通えそうな職場を探した。最初は事務職や営業職に応募していたけれど、面接を受けても受けても決まらない。10社以上落ちて、年齢はすでに27歳。アルバイトばかりの履歴書に通信制の学歴では、なかなか企業には届かなかった。

ある日、ハローワークの担当者さんに相談してみると「飲食や介護、SEなら比較的採用されやすいですよ」と教えてくれた。そして「職務経歴書、少し書き直してみましょうか」と提案された。

その担当者さんはとても話しやすくて、ぼくは思わず過去のことを全部話してしまった。
中学時代に母を亡くしたこと、父の再婚、弟の誕生、スクールカーストの底にいて居場所がなくなって不登校になったこと。そこからフリースクール、通信制高校を経て、やっと大学を卒業できそうなところまで来たこと。

今までずっと、「マイナスだ」と思って履歴書に書いてこなかったことだった。

だけど担当者さんは言ってくれた。
「すごくのぞさんのことがわかりました。この方向で行きましょう。順風満帆な人生を歩んできた人ばかりじゃない。泥水をすすってきたからこそ活躍できる人も、採用したい企業もあるんです。」

泥水をすすってきた…その言葉に少し胸がざらついたけど、たしかにぼくは、もがいてここまできた。その過程を見てくれる人がいるなら、信じてみようと思った。

同じころ、奥さんにも就職の相談をしてみた。
「私は医療の資格があるから就職に困ったことはないけど、介護の仕事ならのぞさんにも合いそうだよ。」

その一言が、ぼくの背中を押してくれた。

経験も資格もなかったけれど、ちょうどそのとき、訪問入浴の求人を見つけた。

祖母が介護を必要とし始めたころだった。
小さいころからぼくの世話をしてくれて、母を亡くしたときにはお弁当を作ってくれて、引きこもっていたときには一番の味方になってくれた祖母。

元気だったころからお風呂が大好きだった祖母は、介護が必要になっても、お風呂だけは「気持ちいい〜!」と嬉しそうに笑っていた。
その姿を見て、高齢者をお風呂に入れる仕事なら、ぼくにもできるかもしれない。そう思って応募した。

するとすぐに「採用」の連絡がきた。
書き直した職務経歴書と、祖母への思いが届いたのだと感じた。

その春、会社の近くでは桜が満開だった。
テレビではWBCの決勝、日本中がイチローの決勝打に沸いていた。まるで、ぼくの門出を祝ってくれているようだった。

父は大喜びだった。正直、通信制の大学に通うことにあまり納得していなかったけれど、やっと就職してくれたことが心から嬉しかったんだと思う。

奥さんも「のぞさんには介護が向いてるよ。楽しいと思う。頑張ろうね」と笑ってくれた。

ようやく、大学を卒業して就職する春。
ぼくにとって、人生が大きく変わり始めた季節だった。

🌸 引きこもりだったぼくが、通信制大学で仲間と出会い、少しずつ未来に向かって歩き出した8年間。その全体の流れをまとめた記事はこちらです 👉 https://is.gd/0wVLup

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